2026年2月13日、ミラノ・コルティナオリンピックでは、スノーボード男子ハーフパイプ決勝が行われました。
平野歩夢(ひらのあゆむ)選手は7位という結果で終わり、2022年北京オリンピックに続いての2連覇とはなりませんでした。
しかし、平野歩夢選手は2026年1月17日のスノーボードFISワールドカップのハーフパイプで転倒し、骨盤や鼻骨などを骨折する大けがを負っており、そこからわずか27日での試合復帰。
けがが完治していない状況での技術の高さや、試合後のコメントに大きな称賛の声が上がったのは記憶に新しい、という方も多いでしょう。
そして、平野歩夢選手のトレードマークとも言えるのが、おしゃれなドレッドですよね。
平野歩夢選手がドレッドにしたのは、2018年です。
ドレッドにした明確な理由について、言及している記事は見つけられませんでした。
しかし、詳しく調査してみると、「スノーボード」という競技が持つ文化の影響が非常に大きいようです。
そこで、この記事では以下の点に注目して、平野歩夢選手のドレッドについて掘り下げていきます。
- 平野歩夢選手はなぜドレッドにした?
- 平野歩夢選手がドレッドにしたのはいつから?
- 平野歩夢選手がドレッドにしたのは国母和宏さんの影響?
- 平野歩夢選手のドレッドについて、SNSの声は?
平野歩夢の髪型はなぜドレッド?

しかし、ドレッドを選択した理由がうかがえる、平野歩夢選手の発言がいくつか見つけられました。
「自分らしさを大事にしたい」

今まで、平野歩夢選手はオリンピック後のインタビューなどで、以下のようなコメントをしています。
「自分のスタイルを貫きたい」
「人と同じことはしたくない」
「自分の滑りをしたい」
これは髪型に直接言及したものではありません。
しかし、平野歩夢選手が【自己表現】を重視している姿勢は一貫してうかがえます。
「スノーボードはカルチャー」

平野歩夢選手はスノーボードについて、このような趣旨のコメントをしています。
「競技である前にカルチャー」
「ライフスタイルでもある」
「自分の表現方法のひとつ」
管理人平野歩夢選手にとって、ドレッドは「競技上の必要性」ではなく、
「カルチャー的選択」と言えそうですね!
それでは、「スノーボードはカルチャー」というコメントを体現するために、平野歩夢選手はなぜ「ドレッド」を選んだのでしょうか?
それは、スノーボードがストリートカルチャーと結びつく競技だから、と言えそうです。
スノーボードはストリートカルチャーと結びつく競技

国際スキー・スノーボード連盟(FIS)は公式サイト内の「About FIS」という項目でスノーボードの起源に触れています。
ここでは、スノーボードはサーフィンやスケートボードをルーツとしていることが明言されています。
スケートボードをルーツとしていることから、アメリカのストリートカルチャーの影響を大きく受けていることがわかります。
アメリカのストリートカルチャーの特徴として、具体的には以下の3つが挙げられます。
- ヒップホップやレゲエなどの音楽
- だぼだぼのファッション
- ストリートカルチャー
ドレッドはレゲエ文化の象徴的な髪形でもあります。
管理人スノーボードを【競技】の前に【カルチャー】としてとらえ、
「自分らしさを表現したい」と考える平野歩夢選手にとって、
ドレッドは「自己表現の最適は方法」だったのかもしれませんね。
平野歩夢選手のトレードマークとも言えるドレッド。
ところが、よく見てみると単純に「ドレッド」といっても、ヘアスタイルは微妙に変化しています。
次は、平野歩夢選手がいつからドレッドなのか、写真とともに変化を追っていきましょう。
平野歩夢の髪型がドレッドなのはいつから?

それでは、平野歩夢選手のへアルタイルの変化を追っていきましょう。
2015年~2017年

「ツイストパーマ」は毛束を「ねじる(twist)」ことで、細かいウェーブやランダムな束感を作り出すヘアスタイルのことです。
束感を作り出すスタイルなので、髪全体のボリュームは出やすいですが、ドレッドに比べると「束感」は出にくく、チリついた印象になっています。
「ツイストパーマ」もストリート感を演出できるヘアスタイルですが、ドレッドよりも挑戦しやすいのもポイントです。
2018年~2021年

2018年は平野歩夢選手にとってこのような年でした。
- 2018年 Aspen Winter X-GAMESで日本人初の優勝
- 平昌オリンピックで銀メダル獲得
- 20歳になる年
2018年2月に開催された平昌オリンピックの時点では、すでに「短めのソフトドレッド」だった平野歩夢選手。
2018年の1月に開催されたAspen Winter X-GAMES では、日本人初の優勝を飾っています。
また、2014年のソチオリンピックでハーフパイプ日本人初となる銀メダルを獲得した上で、平昌オリンピックに臨みました。
平昌オリンピックの時点で、平野歩夢選手は19歳の若さでありながら、世界的に十分な実績を挙げています。
そして、「追う側」から「追われる側」になっていました。
また、20歳前後は自己アイデンティティの確立期でもあります。
もしも10代前半や無名時代にドレッドに挑戦していたら、世間からの評価は厳しかったかもしれません。
管理人十分な結果を残し、実績を積んでいる状況だったからこそ、
より自由な自己表現が許容されやすいタイミングだったんですね!
2022年~

短めのドレッドから長めのドレッドに変化しているものの、すでに「平野歩夢=ドレッド」の印象が定着していたため、まったく違和感がありませんね。
ここで気になるのが、平野歩夢選手のドレッドと国母和宏さんの関係ではないでしょうか。
次は、平野歩夢選手がドレッドにしたのは国母和宏さんの影響なのか、を見ていきましょう。
平野歩夢の髪がドレッドなのは国母和宏の影響?

国母和宏(國母和宏 こくぼかずひろ)さん、と聞いてもピンとこない方もいるかもしれませんね。
そこで、まずは国母和宏さんのエピソードを振り返り、平野歩夢選手との関係まで掘り下げていきましょう。
国母和宏さんとは?

国母和宏さんは、2010年のバンクーバーオリンピックにスノーボード日本代表として出場しました。
ところが、国母和宏さんは競技の結果以上に、開会式前の空港での服装や態度が報道で大きく取り上げられてしまいました。
- 公式スーツのズボンを腰で履く「腰パン」
- ネクタイを緩めた着用
- 取材対応での「反省してまーす」という発言
この発言はテレビで繰り返し放送され、大きな社会的議論になりました。
そして、このような結果を招きました。
- 日本選手団から厳重注意
- 開会式出席を自粛
当時の日本では、オリンピックに参加する選手は「日本の代表としての礼儀や規律」が非常に重視されていました。
そのため、公的行事での服装は厳格であるべき、という価値観が非常に強かったのです。
一方で、スノーボードは上記のように、ストリートカルチャー発祥で、個性や自己表現を重視しています。
管理人「日本的な公の場の礼節」と「スノーボードのカルチャー的スタイル」が、大きく衝突してしまったんですね。
そして、いざバンクーバーオリンピックが開催されてみると、国母和宏さんは高難度の演技を披露し、8位入賞という偉業をたたき出しました。
さらに後年、世界選手権などで結果を残しています。
つまり、国母和宏さんは実力で評価を取り戻した、という経緯があるのです。
だからこそ、この騒動の影響はこのようにまとめられます。
- スノーボードという競技が持つ、「カルチャー性」を社会に広く知らしめるきっかけになった
- 競技と自己表現の境界線を問い直すきっかけになった
このように、実力で評価を覆した国母和宏さんは、2013年~2014年のスノーボード・ワールドカップに技術コーチとして帯同しています。
2014年のソチオリンピックにも日本代表の技術コーチとして渡露しており、平野歩夢選手の銀メダル獲得に大きく貢献しています。
そんな大騒動が巻き起こった2010年、バンクーバーオリンピック。
この時の国母和宏さんのヘアスタイルがドレッドだったこともあり、「平野歩夢の髪がドレッドなのは国母和宏の影響?」と考える人もいるようです。
それでは、実際にはどうなのでしょうか?
国母和宏さんとの関係は?

2013年、IMGアクションスポーツは国母和宏さんとともに平野歩夢選手とマネジメント契約を締結しています。
2014年のソチオリンピックの際も、平野歩夢選手は国母和宏さんから心身ともに多くのサポートを受けていました。
このように、ともに活動していた時期もあり、平野歩夢選手は国母和宏さんを非常に慕っています。
2018年2月13日に配信された産経WESTの「先輩への憧れと切磋琢磨 平野歩夢と平岡卓 男子スノボハーフパイプ」など、多くのメディアでも平野歩夢選手と国母和宏さんの関係は報道されています。
国母和宏さんとの共通点は?

ところが、2人には大きな共通点があります。
2026年2月14日に配信されたNumber Webの「「だろうな…って感じですね」平野歩夢もリスペクト…スノーボード・國母和宏が明かした16年前「反省してま~す」事件の真相「えーって思うほどバカじゃない」」から、国母和宏さんのスノーボードに対する思いを知ることができます。
この記事から、国母和宏さんがスノーボードのカルチャーを非常に重視していることがわかります。
そして、国母和宏さんが考える、「プロのスノーボーダーとしてのスタイルを貫いたこと」も明かしています。
また、平野歩夢選手も「スノーボードはカルチャー」とコメントしています。
管理人平野歩夢選手も、国母和宏さんも、スノーボードの「カルチャー」をとても大切にしているんですね!
スノーボードのカルチャーを重視している平野歩夢選手にとって、ドレッドは自己表現の手段として自然の流れだった、と言えそうです。
そんな平野歩夢選手のドレッドについて、SNSではどのような声が挙がっているのでしょうか?
平野歩夢のドレッドがかっこいい!SNSの声まとめ

平野歩夢選手のドレッドについて、SNSの声を見てみましょう。
ドレッドが似合う平野歩夢#金メダリスト#平野歩夢 pic.twitter.com/ofhuK5LB5E
— Whether times are good or BAD, happy or SAD (@justforyou78659) August 7, 2023
本日、北京オリンピック最終日🥇
— KEI10211130 (@kei10211130) February 20, 2022
平野歩夢選手の🥇は感動したわ✨
平野くんのドレッド見る度…
(´し` अ )のドレッドも可愛いかったわ😍って思っちゃう♥️←当時は軽くドン引きしたけど😇
おはようございます❤︎ pic.twitter.com/30RC87vvMv
平野歩夢、見た目もメンタリティもドレッドが似合う日本人ナンバーワンやわ。カッコよすぎる
— kenta.nakamura【まるごと学べる異常検知 著者】 (@c60evaporator) February 15, 2026
平野歩夢選手のドレッドについては「かっこいい!」の声のみで、批判的な意見は見つけられませんでした。
管理人平野歩夢選手のドレッドが、多くの人に支持されていることがわかりますね!
まとめ
今回は以下のポイントをまとめました。
- 平野歩夢選手はなぜドレッドにした?
- 平野歩夢選手がドレッドにしたのはいつから?
- 平野歩夢選手がドレッドにしたのは国母和宏さんの影響?
- 平野歩夢選手のドレッドについて、SNSの声は?
しかし、平野歩夢選手は「自分らしさを大事にしたい」・「スノーボードはカルチャー」と考えています。
そこで、自己表現のため、ストリートカルチャーとしてのドレッドを取り入れたと考えられます。
2018年は平野歩夢選手にとってこのような年でした。
- 2018年 Aspen Winter X-GAMESで日本人初の優勝
- 平昌オリンピックで銀メダル獲得
- 20歳になる年
十分な実績を上げており、自己アイデンティティの確立期でもあった2018年は、より自由な自己表現が許容されやすいタイミングだったと考えられます。
また、ドレッドにしたきっかけについて、一部では「国母和宏の影響?」との疑問もありました。
平野歩夢選手が国母和宏さんから大きな影響を受け、慕っていることは事実です。
2026年、ミラノ・コルティナオリンピックを終えたばかりの平野歩夢選手。
けがの早期回復と今後の活躍が楽しみですね。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございます。
