2025年7月26日、ドイツのボルシア・メンヒェングラートバッハに完全移籍して、4年契約を結ぶことが発表された町野修斗(まちのしゅうと)選手。
移籍金はキールのクラブ史上最高記録となることが予想されています。
そんな、現在大注目の町野修斗選手。
学歴はこのようになっています。
- 伊賀市立中瀬小学校出身
- 伊賀市立城東中学校出身
- 履正社高校出身
こうして学歴を見る目につくのが、履正社高校ではないでしょうか。
履正社高校のOBには有名なサッカー選手が多いだけでなく、町野修斗選手自身も次のような実績をあげています。
- 高校2年生の時にインターハイに出場し、全国ベスト8に進出
- 全日本高校選抜メンバーに選出
- 高校3年生の時から横浜F・マリノスの練習に参加
しかし、町野修斗選手が「恩師」と慕う指導者に出会ったのは、中学生の頃でした。
それでは、町野修斗選手の出身中学はどこなのでしょうか?
また、小学生・中学生の時の実績はどのようになっているのでしょうか?
出身の小学校・高校とあわせて、町野修斗選手の学歴と実績をまとめてみました。
町野修斗の出身中学はどこ?

三重県出身の町野修斗選手。
伊賀市立城東中学校出身で、サッカー選手として有名なOBはいません。
中学生の時には学校のサッカー部ではなく、地元のサッカーチーム、FCアヴェニーダソルに所属していました。
しかし、このFCアヴェニーダソル時代に、運命的な出会いを果たしています。
FCアヴェニーダソルの監督が、サガン鳥栖で6年プレーしていた関本恒一(せきもとこういち)さんだったのです。
関本恒一監督の指導

町野修斗選手のキックの精度の高さと体のしなやかさを高く評価していた関本恒一監督。
その一方で、町野修斗選手には体格の小柄さや、自分勝手なプレーをする傾向があることも見抜いていたようです。
そこで、関本恒一監督は町野修斗選手を特に厳しく指導していたと言います。
具体的には、以下のような指導を行っていたそうです。
- 中盤のボランチや左サイドという足元の技術を生かせるポジションを経験させることで、のちの選択肢を広げた
- チームのために走る、勝つことに力を注げるよう、精神的な成長を促した
関本恒一監督への想い

日本サッカー協会は2008年から、「ブルーペナント」という制度を導入しています。
サッカー日本代表に初めて選出された選手は、「ブルーペナント」と呼ばれる記念の旗を日本サッカー協会からプレゼントされます。
そして、選手はこの「ブルーペナント」をお世話になった恩師に贈り、これまでの指導への感謝の気持ちを伝えるのです。
町野修斗選手は2022 FIFAワールドカップに、ケガで辞退した中山雄太選手の代替として初選出されました。
そして、この時、町野修斗選手は「ブルーペナント」を関本恒一監督に贈っています。
サッカーの技術だけでなく、精神面も育ててくれた関本恒一監督。

町野修斗選手が、関本恒一監督に深く感謝していることが分かりますね。
- 大阪府交野市出身の元サッカー選手で、ポジションはディフェンダー
- 三重県立四日市中央工業高校を卒業後、1997年から6年間サガン鳥栖でプレーし、2002年に引退
- 引退後、さまざまなサッカーチームのコーチ経験を経て、FCアヴェニーダソルの監督に就任
- 2013年にFC.ISE-SHIMAで現役に復帰するも、2014年8月に骨肉腫が見つかり、2016年1月23日、大阪府内の病院で平滑筋肉腫により死去
町野修斗選手が初めて代表に選出された2022 FIFAワールドカップの際には、もう関本恒一監督は亡くなっていました。
亡き恩師に「ブルーペナント」を贈った町野修斗選手。
町野修斗選手が関本恒一監督に贈った感謝の想いは、2022年12月18日に配信された読売新聞オンライ「初めての日本代表招集で恩師に「ブルーペナント」…前田大然も守田英正も町野修斗も」など、複数のメディアで注目を集めました。
町野修斗の小学校は?

町野修斗選手の父・理(おさむ)さんは上野工高(現・伊賀白鳳高)時代に国体選抜にも選ばれた経験があり、中瀬SSSというチームでサッカーの指導を行っていました。
兄・達哉さんの影響で、3歳から中瀬SSSでサッカーを始め、基礎をしっかり学んだ町野修斗選手。
しかし、どの位置からもシュートを打てる、という高い技術力を誇っていたようです。
東海テレビが2022年11月23日に配信した「小4で“キックオフゴールも”…W杯追加招集の三重県伊賀市出身・町野修斗 父がその名に乗せた『夢』」では、町野修斗選手が小学校4年生の時に「キックオフシュート」を決めたことに注目しています。
その際は、ゴールから30mほども離れたところからシュートを決めたと言います。

小学生の時から、高いポテンシャルを持っていたことが分かりますね。
町野修斗の出身高校は?
今週のあすリートは履正社高校3年 町野 修斗(まちの しゅうと)18歳です⚽️
— あすリートチャンネル【公式】 (@ATHlete_ytv) October 20, 2017
📺読売テレビ 10月21日土曜日 おひる11時35分放送!#履正社高校 #サッカー #高校サッカー #ストライカー #読売テレビ #ytv #rtv pic.twitter.com/RR0tFYwzGR
履正社出身のOBとしては、以下のような有名選手があげられます。
- 林大地選手(2020年 東京オリンピック日本代)
- 田中駿汰選手(2019年E-1選手権日本代表)
- 奥井諒選手
- 田中駿汰選手
- 林大地選手
など
履正社高校サッカー部は練習量が非常に多いことで有名です。
履正社高校サッカー部で「基本技術の徹底」と「ハードワーク」の練習を行ったことにより、町野修斗選手も大きくレベルアップしました。
高校時代の実績
[日本高校選抜選考合宿]履正社FW町野修斗(2年)「まず選手権に一回は出たい」(ゲキサカ) https://t.co/strKfInoEc pic.twitter.com/vSOqbFKcZJ
— わっほいタンク (@wahhoitankjapan) February 8, 2017
町野修斗選手は高校1年生の時からレギュラーを獲得しています。
また、高校2年生でフォワードに転向すると、得点力を一気に開花させ、1試合の複数得点を記録する試合も増えていきました。
その結果、以下のような実績をあげています。
- 2年生の時、インターハイに出場し、全国ベスト8に進出
- 全日本高校選抜メンバーに選出
高校2年生の時のインターハイでの活躍をきっかけに、高校3年生の時には横浜F・マリノスの練習に参加するようになりました。
まとめ
今回は町野修斗選手の学歴と実績についてまとめました。
- 伊賀市立中瀬小学校出身
- 伊賀市立城東中学校出身
- 履正社高校出身
- 高校2年生の時にインターハイに出場し、全国ベスト8に進出
- 全日本高校選抜メンバーに選出
- 高校3年生の時から横浜F・マリノスの練習に参加
履正社高校での厳しい練習でスキルアップした町野修斗選手。
高校2年生の時にフォワードに転向したことで、得点力も開花させました。
そして、高校生で大きく成長するきっかけとなったのが、中学生の時に所属していたFCアヴェニーダソルの関本恒一監督との出会いでした。
関本恒一監督の指導の元、精神面で成長したことが、後に町野修斗選手を大きく飛躍させることに影響していたことが分かりました。
2025年からはクラブ史上最高の移籍金で、ドイツのボルシア・メンヒェングラートバッハに完全移籍して4年契約を結んだ町野修斗選手。
今後の活躍からも目が離せませんね。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。