2026年WBC、日本代表の「侍ジャパン」は1次ラウンドを4勝全勝で1位突破しており、2026年3月13日からは準々決勝に臨みます。
「侍ジャパン」の選抜メンバーの1人として大きく注目されているのが、大谷翔平(おおたにしょうへい)選手です。
2024年からロサンゼルス・ドジャースで「二刀流スター」として活躍している大谷翔平選手。
2023年9月19日に右ひじのトミー・ジョン手術を受けており、2025年から徐々に投手復帰を目指している状況。
そのため、2026年のWBCでも指名打者としての出場です。
指名打者として、1次ラウンドでは3試合に出場し、打率.556という結果をたたき出しています。
大谷翔平選手のロサンゼルス・ドジャースでの背番号「17」は、すっかりトレードマークのようになっています。
しかし、WBCでの背番号は「16」。
大谷翔平選手がロサンゼルス・ドジャースで背番号「17」を選択した理由には、高校時代の先輩、菊池雄星選手との縁が大きく関係している、と言われています。
また、WBCでの背番号に「16」を選択した理由は、日本人メジャーリーガーの先駆者、野茂英雄さんの存在が大きく影響している、と言われています。
そこで、この記事では以下の点を深堀していきます。
- 大谷翔平選手がMLBで背番号「17」を選んだ理由
- 大谷翔平選手がWBCで背番号「16」を選んだ理由
- 日本ハム時代からMLBでの背番号の変遷
大谷翔平はなぜ17番?メジャーで背番号17を選んだ理由

大谷翔平選手は、日ハム時代は背番号「11」を背負っていました。
ところが、2018年に移籍したロサンゼルス・エンゼルスでは、背番号「11」は使用できなかったんです。
ロサンゼルス・エンゼルスで背番号「11」が使えなかった理由

ロサンゼルス・エンゼルスでは、背番号「11」は永久欠番となっています。
かつてロサンゼルス・エンゼルスで活躍した故ジム・フレゴシさんに敬意を表し、1998年から球団は背番号「11」を永久欠番にしています。
2019年8月3日に Full-Countから配信された「エンゼルス入り決断の大谷、早くも背番号が話題 「11」欠番、「16」の予想も」でも、ロサンゼルス・エンゼルスでは背番号「11」が永久欠番になっていることに触れ、MLBでの大谷翔平選手の背番号が話題になっていることを報じています。
そのため、大谷翔平選手は別の番号を選ぶ必要がありました。
そこで選ばれたのが、「17」でした。
それでは、なぜ、大谷翔平選手は背番号「17」を選択したのでしょうか?
次は、大谷翔平選手がロサンゼルス・エンゼルスで背番号「17」を選択した理由を見ていきましょう。
ロサンゼルス・エンゼルスで背番号「17」を選択した理由

大谷翔平選手は、2017年12月10日に朝日新聞から配信された「大谷が「17番」を選んだ理由 花巻東にとっても特別」で、背番号「17」を選んだ理由として、このように語っています。
「僕が新たな気持ちで、ここでがんばっていくときに、17にしようかなと思った」
2014年に開催された「日米野球」の際に、大谷翔平選手は背番号「16」を与えられました。
ここから、「MLB挑戦にあたっても背番号「16」を選択するのでは?」という意見もありました。
そのような中で、新たな気持ちでMLBに挑むにあたって、大谷翔平選手が選択した背番号「17」。
この、背番号「17」には、花巻東高校時代の背番号が大きく影響している、と考えられています。
花巻東高校と背番号「17」の関係

花巻東高校にとって、背番号「17」は特別な番号でした。
前述の「大谷が「17番」を選んだ理由 花巻東にとっても特別」でも、花巻東高校にとっての背番号「17」の重さが語られています。
同記事で、花巻東高校の佐々木洋監督はこのように語っています。
「左投手なら16番とか、私の勝手なイメージがあったんです。17番は、将来エースにと期待する投手につけさせていました」
花巻東高校にとって背番号「17」が特別な意味を持つようになったきっかけが、菊池雄星選手の存在でした。
2007年夏、菊池雄星選手は1年生ながら147 kmのストレートを投げ、甲子園をどよめかせました。
この時の菊池雄星選手の背番号が、「17」だったのです。
そこから、花巻東高校にとって背番号「17」は、「エース候補」の背番号として、現在も定着しています。
管理人大谷翔平選手にとって、背番号「17」は新たな挑戦であるとともに、原点回帰の意味もあったのかもしれませんね!
ロサンゼルス・ドジャースで背番号「17」を選択した理由

大谷翔平選手がロサンゼルス・ドジャースに移籍した、2024年。
背番号「17」は、ベテラン投手のジョー・ケリー選手が背負っていました。
ジョー・ケリー選手は他球団時代も含め、長期間にわたって背番号「17」を背負っていました。
だからこそ、非常に強い思い入れがあったようです。
そのため、2023年12月26日にFull-Countから配信された「ポルシェではない…大谷翔平に「17」を譲った本当の理由 ド軍右腕が明かす“野望”」など、多数のメディアに対して、「誰にでも背番号「17」を譲る気はなかった」という旨のコメントをしていたことが報じられています。
その一方で、「殿堂入りする可能性が高いショウヘイ(大谷翔平選手)に背番号「17」を譲れるのは名誉なこと」とも語っています。
管理人大活躍するベテラン投手が、「愛着のある背番号を譲ってもいい」と思えるほど、大谷翔平選手の実力は、MLB挑戦時点で突出していたんですね!
このように、MLBでは一貫して背番号「17」が定着している大谷翔平選手。
一方で、国際大会の日本代表では大谷翔平選手の背番号は一貫して「16」になっています。
なぜ、大谷翔平選手はWBCの際の背番号「16」にこだわっているのでしょうか?
次は、大谷翔平選手がなぜWBCで背番号「16」を選択しているのか、を見ていきましょう。
大谷翔平はなぜWBCで16番?

2023年1月6日、日刊スポーツから配信された「【WBC】侍ジャパン大谷翔平、背番号「16」には不思議な縁 20歳の大谷が明かした理由」から、大谷翔平選手がWBCで背番号「16」を選択した理由が紐解けます。
背番号「16」を選択した理由

大谷翔平選手がWBCで背番号「16」を背負っているのには、大きく以下の理由が挙げられます。
2014年に開催された「日米野球」の時点で、大谷翔平選手は20歳でした。
当時の代表メンバーの中で、若干20歳だったのは、大谷翔平選手と当時阪神タイガースだった藤浪晋太郎投手のみでした。
代表メンバーの背番号は、先輩から選択するのが慣例となっているようです。
先輩たちが自分にゆかりのある背番号を選択していく中で、残った背番号が「16」でした。
そのため、「日米野球」では背番号「16」は大谷翔平選手が選択したのではなく、与えられた背番号でした。
2017年のWBCは、ケガの影響で辞退せざるを得なかった大谷翔平選手。
その次の出場となった2023年のWBCでも、大谷翔平選手は背番号「16」を背負ってプレーしました。
この理由について、先述の「【WBC】侍ジャパン大谷翔平、背番号「16」には不思議な縁 20歳の大谷が明かした理由」など、多数のメディアで、大谷翔平選手は次のように語っています。
管理人大谷翔平選手自身にとって、「日本代表=16番」というイメージが定着しているんですね!
背番号「16」についてどのように考えている?

先述の「【WBC】侍ジャパン大谷翔平、背番号「16」には不思議な縁 20歳の大谷が明かした理由」では、大谷翔平選手が背番号「16」に対して、どのよう印象を持っているか、についても問われています。
この質問に対し、大谷翔平選手はこのように答えています。
「野茂さんと言ってほしいんですか? いや、でも野茂さんしかいないです」
日本人メジャーリーガーの先駆者ともいえる、野茂英雄さんの背番号が「16」でした。
管理人大谷翔平選手にとって、背番号「16」は、尊敬する日本人メジャーリーガーへのリスペクトが込められた番号とも言えそうですね!
野茂英雄さんとは?

野茂英雄さんは、日本人メジャーリーガーの先駆者ともいえる存在です。
初めてMLBに挑戦した日本人は、当時の南海ホークスの村上雅則さんで、1964年のことです。
村上雅則さんは「野球留学」という形式でMLBに挑んでいましが、野茂英雄さんは1995年、夢を追って単身渡米しています。
そして、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶに至りました。
しかしMLBはもちろん、日本球界でさえ野茂英雄さんがMLBで通用するとは誰も思っていませんでした。
そんな予想に反して、野茂英雄さんはアジア人初の新人賞を獲得し、ロサンゼルス・ドジャース7年ぶりの地区優勝に大きく貢献しています。
野茂英雄さんの代名詞ともいえるトルネード投法と、激しい落差のフォークボール。
野茂英雄さんは、日本人野球選手がMLBでも通用するとこを証明し、多くの野球選手に尊敬される存在となっているのです。
背番号について問われた際、「大きなこだわりはない」という旨の発言をすることが多い大谷翔平選手。
ところが、背番号「16」にも、「17」にも運命的なものを感じますよね。
それでは、大谷翔平選手の背番号はどのように変化していったのでしょうか?
その変遷についても見てみましょう。
大谷翔平の背番号の変遷一覧!(日ハム〜MLB)

大谷翔平選手はこれまで、所属チームや大会によって背番号を変えてきました。
主な背番号の変遷をまとめると、次の通りです。
| 年代 | チーム | 背番号 |
|---|---|---|
| 高校時代 | 花巻東高校 | 17 |
| 2013年〜2017年 | 日ハム | 11 |
| 日本代表 | 侍ジャパン | 16 |
| 2018年~2023年 | ロサンゼルス・エンゼルス | 17 |
| 2024年~ | ロサンゼルス・ドジャース | 17 |
MLBでは背番号「17」が長く続いており、日本代表としては背番号「16」で一貫しています。
そのため、「大谷翔平=背番号「17」または「16」」という印象を持っているかもしれませんね。
ここまで、大谷翔平選手のMLBでの背番号「17」の理由、WBCでの背番号「16」の理由についてご紹介してきました。
それでは、大谷翔平選手はなぜ日ハム時代には背番号「11」を選んだのでしょうか?
ここからは、日ハム時代の背番号「11」に注目してみましょう。
日ハムで背番号「11」を選択した理由

大谷翔平選手は2013年に日本ハムファイターズに入団しました。
この時、球団から提示された背番号が「11」でした。
日ハムの背番号「11」は、2005年から2011年までダルビッシュ有投手が背負っていました。
ダルビッシュ有投手は、日ハム時代にこのような実績を残しています。
- 2006年:44年ぶりの日本一に大きく貢献
- 2007年:パ・リーグ優勝に大きく貢献
- 2009年:パ・リーグ優勝に大きく貢献
大谷翔平選手は、日ハム在籍中の2013年から2017年まで背番号「11」を背負っていました。
そして、その後は背番号「11」は他の選手に継承されていません。
また、2021年12月21日にFull-Countから配信された「日本ハム、新球場に「TOWER 11」建設 ダル&大谷から命名「名前刻まれること嬉しく」」からも、日ハムがダルビッシュ有投手と大谷翔平選手に対して、大きく敬意を持っていることがうかがえます。
管理人日ハムは、ダルビッシュ有投手の後を引き継ぐにふさわしい選手として、大谷翔平選手に背番号「11」を提示したんですね!
まとめ
今回は、以下の点を深堀しました。
- 大谷翔平選手がMLBで背番号「17」を選んだ理由
- 大谷翔平選手がWBCで背番号「16」を選んだ理由
- 日本ハム時代からMLBでの背番号の変遷
2018年にロサンゼルス・エンゼルスに移籍した大谷翔平選手。
ところが、ロサンゼルス・エンゼルスでは背番号「11」が永久欠番となっていました。
そこで選ばれたのが、背番号「17」でした。
背番号「17」を選んだ理由としては、以下が考えられます。
- 大谷翔平選手が花巻東高校時代に背負っていた番号だった
- 花巻東高校の先輩、菊池雄星選手の背番号が「17」だった
- 花巻東高校にとって背番号「17」は、「エース候補」の背番号として定着している
その後、ロサンゼルス・ドジャースでも背番号「17」を継続して背負っています。
一方で、国際大会の日本代表では大谷翔平選手の背番号は一貫して「16」になっています。
大谷翔平選手がWBCで背番号「16」を選択した理由としては、以下が挙げられます。
- 先輩から背番号を選ぶ、野球界あるある
- 「日本代表=16番」という、大谷翔平選手自身のイメージ
背番号「16」は日本人メジャーリーガーの先駆者ともいえる、野茂英雄さんの背番号のため、尊敬する日本人メジャーリーガーへのリスペクトが込められている、とも考えられます。
大谷翔平選手の主な背番号の変遷をまとめると、次の通りです。
| 年代 | チーム | 背番号 |
|---|---|---|
| 高校時代 | 花巻東高校 | 17 |
| 2013年〜2017年 | 日ハム | 11 |
| 日本代表 | 侍ジャパン | 16 |
| 2018年~2023年 | ロサンゼルス・エンゼルス | 17 |
| 2024年~ | ロサンゼルス・ドジャース | 17 |
大谷翔平選手が日本ハムに入団する以前は、ダルビッシュ有投手が背番号「11」を背負っていました。
ダルビッシュ有投手は、日ハムの日本一やパ・リーグ優勝に大きく貢献する実績を残しています。
そのため、日ハムはダルビッシュ有投手の後を引き継ぐにふさわしい選手として、大谷翔平選手に背番号「11」を提示したと考えられます。
日本を代表するメジャーリーガーとして、大活躍中の大谷翔平選手。
2026年のWBCはもちろん、2026年シーズンの活躍からも目が離せませんね!
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